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The truth behind truthsとか言ってみるゆとりジェネレーション
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バスティーユ牢獄を襲った民衆は世界史の小テストで100点を取れるか?
という問題設定をしてみる。

食糧危機で不満を抱いたパリの民衆が、7月14日、バスティーユ牢獄へ襲撃したことによって、フランス革命は始まり、その後も民衆の力によって革命は進んでいったっていうのは、まあ世界史の教科書にも書いてあるし、「史実」と言って差し支えないと思う。

そして、その様な経緯の説明の前には、必ず第一身分-第二身分-第三身分、という感じのピラミッドの図が描かれ、人口の1割未満の第一身分・第二身分のために、第三身分が重税に苦しんでいた、というようなことが書かれている。

け ど、当時バスティーユ牢獄を襲撃した人達に、その様な全体認識をきちんと持っていた人は、一体どれほど居ただろうか?いや、皆無とは言わない。特にフラン ス革命なんていうのは、カフェの討議・百科全書・新聞などなどの、メディアによって民衆が上記であげたような知識を啓蒙されたことも原因の一つらしいから ね。

でも、少なくとも全員がそういうきちんとした認識を持って革命に参加していたかというと、そんなことはないんじゃないのかなぁ?詳し くはそれこそ色々調べなきゃいけないけど(当時の識字率とか、襲撃に何割ぐらいのパリ市民が参加したかとか)、半数以上はそんなこと考えてなくて、ただ 「パンをくれない政府むかつく。きっと政府が金を溜め込んでるんだ!」というような認識だったんじゃないかと。

そしてその様な認識は、 まぁ、間違ってると断言する事も出来ないけど、少なくとも世界史のテストで答えたら、100点は絶対にもらえない回答なわけ。何せ当時の政府はむしろイギ リスとの植民地争奪戦争に疲弊して資金難だったわけで、そもそもあのテニスコートの誓いへとつながった三部会は、国王が第一身分や第二身分へも課税出来る ようにするために行われたものだったんだから。

そして重要なのが、そのようにあまり正しい認識を持っていなかった民衆が、「それにも関わ らず!」というか「それ故!」というべきか分からないけど、革命の原動力になり、革命を推し進め、結果人権宣言などの、現在も通用するような偉業を成し遂 げたという事実。この事実を、一体僕らはどう考えればいいのか。

……というようなことを
しっぽのブログ: いつまでもJASRACを悪の魔王に設定してはいけない。
という記事を読んで考えた。

まぁ、別に僕はJASRACがどうなろうが、著作権の制度がどうなろうがうんま興味ないんですけど、ただこの記事の構造が面白かったので。
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家族なんて、普段は存在感無いぐらいがちょうど良い
いざというときに、きちんとその構成員を守れればそれで良い。
遠くまで。 本当に子どもは大切にされているの?権利を主張するより子どもの意見を聴いてほしい。
う ぜー親だなーと思ったら、なんかはてなサヨクの人々はこの記事にほぼ禿同なようで、また一つがっかりする。普段「ショクイクハンターイ」だなんだかんだ 言ってても、やっぱり心の奥底では、子供は親が家庭で育てるものだという、そういう認識が、便器に付いたウン○みてーにこびりついてるんだろーな。

良いじゃねぇかよ、子供保育園に預けて友達と出かけようが。親は友達と息抜きして、子供も保育園で友達と遊ぶ。誰も損してないじゃん。何が悪いの??

夕 食が総菜で何が悪いの?うちもおかずは殆ど総菜だが、むしろありがたいよ。種類も豊富だし、なにより手伝う方も楽。下手に「愛情こめて作った手料理よ~」 なんて押しつけがましく言われてさ、学校から帰って疲れてきている所で何か野菜の皮むきとか手伝わせられて、で出来たのが何かよく分かんないけどとにかく 「マズソー」な食事だったりするより、ずっと良い。肥満になろうが、別にかまわん。残念ながら僕には、肥満の人を「可哀想ねぇ」などと言いながら差別する ような、そういう下劣な根性はないからね。

更に言うなら、食事を家族全員で食べなきゃならねーっつー強迫観念も良く分からん。そりゃ確か に片づけは楽だけどさ。別に家族の会話なんかメールでも出来るだろーが。もし自由に食事する場所を選べるなら、僕は「今日はA君の家で食べて、明日はB君 の家で食べて、明後日は海を見ながら一人で食べよーかなー」とかそういう自由な食生活を過ごしたいね。

「男も家庭へ、女も家庭へ」とかいうけど、そんな家庭で自分の楽しみが完結しちまうようなつまらない大人に育てられたら、子供もつまんねー子供になっちゃうと思う。

それよか、外で遊ぼうよ。
青臭い話をしよう(ブログ凍結のお知らせ)
なんかもう、最近ブログの書き方が分かんなくなってきた。

具体的に言うと、何をどう書けばより注目され、さらに影響力を持てるような文章になるか、そのことが全く分からなくなった。

思 えば、僕がインターネットを始めたのがちょうど10年前。始めの頃はサンリオがやっていたマグネットというコミュニティーサイトに「家」を持ち、その内マ グネットから離れYahooの掲示板などに出入りするようになり、2000年頃にはとうとう2ちゃんねるに出入りする、いわゆる「2ちゃんねらー」となっ ていった。

そこで僕は様々なことを教わった。匿名掲示板ではストレートに自分の意見を書き込んでも誰も相手にしない。そのスレッドの「空 気」を読み、その空気に合わせながら、自分の意見を言わなければいけない。また、相手の意見を読む時も真正面から読むのではなく、縦読み斜め読み逆さ読み などを駆使しながら、相手の予想の2歩先を行かねばならない……

そして僕はやがて2ちゃんねるを離れ、ブログを書くようになった。

ブ ログでは文章の書き方は更に錯綜するようになった。もはやそこでは「空気に適合しているか/していないか」というコードすら消失した。あるのは自分のブロ グと他者のブログ、そしてその間を往き来する観客の気持ちであり、その気持ちによって、文章の評価は身勝手なまでに翻弄された。今日褒められたブロガーが 明日は貶され、昨日全く知られなかったブロガーが今日は万人が知るようになる。まさにそこでは「情報戦」が行われていたのだ。

そして僕も その情報戦の流儀を学ぼうと頑張った。何か話題になっている事象はそれを真正面から取り上げずメタの視点から取り上げる、誰かと同じ意見は絶対注目されな いから、無理矢理にでも他者と違う視点を見いだせ、分かりにくいことは分かっているように話し、誰もが分かっていると思うことの「分かりにくさ」を暴 け……

でも、そうやって頑張れば頑張るほど、僕は、自分が本当に言いたいことを、見失ってしまったような気がしてならない。自分が伝えた いことを、より多くの人に、より影響力を持って伝えようとすればするほど、自分の本当に伝えたいことは、伝わらなくなっていく……最近そんな感じがしてな らないのだ。

そこで僕は、一旦今までの方法を全てリセットして、自分の思っていることを、ありのままにブログに書く。そんな方法を試行してみることにした。場所もはてなダイアリーに移すことにした。

ここでは今までの様な「捻り」は一切用いず、直球に、空気などを一切読まず、自分の身に付いている知識を用いて書いていくこととする。

要するに、「青臭く書く」ということだ。背伸びは一切しない。例え何と言われよう(「中二病」「自意識過剰」「これはひどい」etc...)と、自分の書きたいことを書くのだ。

そして、もしそこで自分の書きたいことがもう一回見つかったら、このブログに帰ってこようと思う。

それまで、このブログは凍結する。
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